長野やすひろプロフィール

Profile of Yasuhiro Nagano

長野恭紘(ながのやすひろ)

Yasuhiro Nagano

1975年、別府市生まれの別府市育ち。2015年、最年少(40歳)別府市長として当選。座右の銘は「やりすぎぐらいがちょうどいい。」別府市民の誇りの再生と別府の魅力を国内外に向けて発信すべく、「湯~園地」計画公約ムービーを公開し、2017年7月に実現。

現在は次のステップを目指し、さらなる市民の幸せと別府市のブランド力の向上を目標に、市民も観光客も「ワクワク、ドキドキ、感動するまち」を目指し、日々奮闘中。

平成10年4月国会議員秘書
平成15年4月別府市議会議員(~H18.5)
平成19年4月別府市議会議員(~H23.4)
平成27年4月別府市長(現在2期目)

長野やすひろストーリー

The story of Yasuhiro Nagano

年少時代

昭和50年4月16日、3800gと今のご時世からすると大きな赤ん坊としてこの世に生を受ける。
小さな頃から奇行が目立ったようで(笑)、 毎朝三度笠を身に着け、ご近所の方々に「グッドモーニング!!」と 叫んでいたという。祖母の家の屋上から落下したり、 池に落ち込んだ時も奇跡的に命に別状はなく、この時から悪運だけは強かったようだ。

少年時代

少年時代はとにかく野球と新聞配達。
野球は小学校1年生から、新聞配達は小学校3年生の時から。
毎日夕方3時半から新聞配達をして、野球に出かける毎日。
野球部ではキャプテンとして、新聞配達では雨の日も雪の日も休むことは許されない『責任感』を実感した。 おじちゃんおばちゃん、地域の方々に本当に可愛がってもらった。
今思えば、持ち前の要領のよさは、この時代に会得したものかもしれない(笑)

青年期

中学時代は、生徒会活動とまた野球(笑)。
生徒会長として、野球部のキャプテンとして、集団を引っ張るリーダーとしての大変さを実感。生徒会活動では市内で1番との評価をいただき、野球部も市内大会3度優勝、2度の県大会出場を果たす。周りに恵まれた中学生活だった…のだろう(笑)

高校に入ってもまたまた野球(笑)。ひたすら甲子園を目指す日々。
しかし、1年生大会からキャプテンとして優勝を果たすも、念願であった甲子園出場は叶わなかった。
高校時代は『体育祭を盛り上げたい!』との思いから、志願して体育委員長となり、忘れられない体育祭を企画・実行する。

高校時代に不完全燃焼に終わった野球を忘れられず、大学野球の名門に入学するが・・・この時、肩を2度故障しており、普通に送球することも困難であったため、本格的な野球生活はここでピリオド。

大学の卒業旅行のつもりで単身渡ったヨーロッパに衝撃を受ける。歴史や文化が日常と溶け合った姿は、私が目指す政治の1つの理想となった。

秘書時代

周囲の方からの勧めもあり、衆議院議員 衛藤征士郎代議士の秘書となる。初日に代議士の代理としてご葬儀に参列していて足が痺れ、立ち上がった瞬間、隣にいた県議会議員を突き飛ばす伝説を作る。

地元と東京の議員会館との勤務で、国政のリアルな現場を知り、理想を実現するための政治の厳しさを実感した。多くの秘書仲間、支援者の皆さんに助けていただき、本当に充実した秘書生活だった。当時得た人脈が、現在も政治活動の中での大きな助けとなっている。

政治家として

『自分は将来きっと政治家になるのだろう』という漠然とした思いがあったが、具体的に『いつ?』『どんな形で?』というものではなかった。しかし、志を立てるなら早い方が良いという事で、平成15年の別府市議会議員選挙に立候補、初当選を果たす。

本当の立志

初当選から3年間は、慣れない議員生活に四苦八苦しながらも充実した日々を送る。 しかし平成18年、市有地である楠港への大型商業施設誘致の是非を問う出直し市長選挙に出馬するも落選。この時の想いが、政治家としての本当の原点になった。

翌19年、市議会議員に復帰し、再び市政に参画する。しかし理想を実現するために市議会で求められる妥協では、世の中を変えることは出来ないとの思いを一層強くし、再び市長選挙への出馬を決意。23年の市長選挙に再挑戦するが落選。

別府市長へ

平成27年4月 最年少(40歳)別府市長として初当選。
座右の銘は「やりすぎぐらいがちょうどいい」。

別府市民の誇りと別府の魅力を国内外に発信すべく、「湯~園地」計画公約ムービーを公開し、2017年7月に実現。

熊本・大分地震の被災支援のお礼として日本全国へ別府温泉のお湯を無料宅配した「別府温泉の恩返し」、噴火の風評被害で宿泊施設のキャンセルが相次いだ草津にエールを送った「Go!草津」、40トンの温泉をみこしに浴びせる「湯・ぶっかけまつり」など、市民の幸せと別府市のブランド向上を目標に、市民も観光客も「ワクワク、ドキドキ、感動するまち」を目指し、日々奮闘中。